~ 私の馬履歴書 Vol. 4 ~
乗馬を始めた頃の思い出 29
~ “オーナー指導⑥鞍の日” ~
2016年4月6日だいあり~より
その馬を自馬にして約1年経ち、
エンデュランスでは60㌔を1回完走して、
トレーニングライドは“一応自分的には卒業”したころの話です。
“一応自分的”にはそこそこやれるじゃん!って、思っていたのですが、馬場で乗ると、やっぱりあぁ~あ、内に入られるは手前は出ないは、
止まられるは。でも、そんなことは、馬が若いし競馬上がりだし、
出来ないからしょーがないなー
俺には無理だなー
って、そう思っていたんですよ。
そんな感じでボケボケ馬場で乗っていたある日30分程乗って終わろうとした時、
見ていたオーナーさんが烈火の如く怒りだしたんですよ。
“○○ッ (←アッシの先生の名前)!
お前がそんなレッスンしているから、福田さんが1年たっても全然上手になって
いないじゃぁ~ないかっ!”って。
アッシは思いましたよ、
ぁ~ヘタッピなのは自分だから、
俺を怒ってくれぇ~って。
で、オーナーさん直々にレッスン受けました。
常歩から始まって、駈歩の巻き乗りまで。
乗り終わった時は3時間経っていましたよ、
馬場内連続騎乗時間3時間半の記念日です。
なにを教わったか?それは、“馬をはかれ”です。
最初の常歩の時、聞かれました
“なんでいつも脚を使うの?”アッシは答えて、
“歩度を伸ばすためです”
で、また聞かれました、
“歩度を伸ばすって知ってる?”
“何のためにするの?” “この人馬で歩度を伸ばすってできるの?”
アッシはしどろもどろですよ。
で、言われたのは
“ただ、なんとなく、機械的に脚を使わないこと
必要な時に必要なだけ使って、
必要ない時は使わないんだよ”って。アッシは“ハイッ!”って答えたんですが、すぐまた言われましたよ“必要な時ってわかってる?”って
ここからが、今日の本題ですよ。
いつ必要な脚(扶助)を使うのか?必要な時はいつなのか?それは、常に馬をはかっていないとわからないじゃぁーないかっ!って。
馬から感じたことをはかる(量るか?)、
つまり、脚やハミに対する反応はどうか?とか
馬の肩(前肢)や腰(後肢)や
鼻先や首はどうなっているか?とか、
それらが前に乗った時と比べてどうか?
その日乗り始めた時と比べてどうか?とか、
その馬の目標に対してどうか?とか、
次の運動に移ることが出来るのか?
とかとか。
馬から送られてくることを感じ、それに対するライダーの答えを馬に送る時、
馬からの感じや動きをはからなければ、
馬に答える事ができないでしょ?って。
馬とコミュニケーションをとり、さらには
信頼関係を築きたいのなら、
のんべんたらりと機械的に乗るなッ!
てね。
オーナーさんから特に言われたのは、馬が従順に答えたら馬(に対する扶助)をリリースして、心の中でいい子だなぁ~って、乗るんだよってことで、その日のレッスンは、
そのリリースどころをきめ細かく教えてくれました。
そしたら、それまで、ヘッポコ馬だと思っていたその馬が、
いい子ちゃんに答えてくれたんですよ!
気持ちと気持ちが通じた気がしたんですよ。
それまで出来ない馬だと思っていてごめんな、
3時間半も付き合ってくれてありがとう。
その日から
アッシは乗馬がもっと楽しくなりました。
乗り終わった後、他のスタッフさんからは
“福田さん、全然うまくなってないって、
いわれてましたねぇ~!”って冷やかされたり、
メンバーさんからは
“なに長時間やってたの?”って
不思議がられたり、そして最後には
“オーナー指導⑥”っていう精算書が来ました。
指導⑥はそのクラブでまだ破られていない、
たぶん、1日での最高記録だと自負しています!
乗馬を始めた頃の思い出 30
~ “部班レッスンの思い出” ~
2016年4月7日だいあり~より
今日でこの“思い出シリーズ”は終わりにしますね。
3月13日に難し~い部班レッスンの話を書くって言ったので、今日書きますよ。
昨日書いた話の日以降、その馬に乗って練習していって、まぁちょっとはビギナーを脱出したと、オーナーさんから認められたようで、厩舎仕事など手伝っていたこともあり、ある時から冬場の暇な時など、スタッフさんと一緒にオーナーさんのレッスンを受けられるようになりました。
が、これ、すっごく。。。
3~4名の部班を組んで、径20~25メートルのサークル運動するんですが、円周上に3,4人馬が均等な間隔になるよう運動をするんです。
つまり馬間は数馬身になります。常に一定に数馬身の間隔をつくるの結構難しいですよ、
前の馬を追いかけるからどうとか、
馬が動かないからどうとか、
許されないないんです。
そして、オーナーさんが “○○(←馬の名)巻き乗り”
とかって、号令を出すだけです。
号令を出された馬は、
その馬だけ巻き乗りするんですが、お互いに馬間とか、周囲にかなり気を使います。
そして三種の歩様を号令によって手前を変えながらやっていくんです。
つまり準備運動に相当する部分を部班で号令出されながら乗るんですね。傍から見ていると淡々と過ぎていく約20分ほど、形は部班でも動きが止まらない、各個乗りの集合です。
で、このレッスン、最も強烈なところは、乗り終わった後、時々個別にオーナーさんから質問される事なんですよ。細かいんですよ。
例えば
“常歩の右手前○周目の時、あなた××したでしょ?なんで?”とかね。
昨日書いた、“歩度を伸ばす”時と同じ、
どんどん突っ込まれてくる質問覚えています?
生半可な答えじゃぁ~どんどん墓穴を掘るんですそれはキツカッたですよォ~!
でもおかげさまで、
乗る前はあらかじめ“何のために何をやるか?”を考え
そして、乗っている時は“いつどこで何を感じ
何のために何をやって、馬はどうなったのか?
そしてそれに応えて自分は何をして、そして馬がどうなって…”を感じ、はかり、そして覚える習慣が少し身につきました。
今でも、それらを完璧にできているとはとても思えませんが、
ありがたいレッスンの思い出です。
乗馬を始めた頃の思い出 31
~ “後書みたいなもの” ~
2016年4月8日だいあり~より
このシリーズ、冬場は日記のネタが枯れ気味になるので恥を忍んでやり始めてみたんです、
が、思わぬ反響をいただきまして、そのうち暇になったら、どこかにひとまとめにするつもりです。
“乗馬クラブのインストさんは、
初心者の気持ちをわかってくれない”とか、
“その人が初心者だったころを忘れている”と
いうような話をたまに耳にするのですが、
アッシは趣味で馬に乗り出したのが、忘れもしない 2002年の文化の日なんです。
アッシ位の歳になったら14年前なんて
最近のことですよ、なので当時の気持ちや、
やっていたことはよく覚えています。
例えば最初思ったのは、
“馬の背中は高いなぁ~、
騎乗料も高いなぁ~”とか、
“カケアシ、いっぱいやりたいのに、
馬場ではちょっとしかやってくれないなぁ~”とか、
“オートマティックな馬がいいなぁ~”とかとか。
そんな考えから、クラブを変え、
エンデュランスをやりだすことによって、考え方もだんだん変わっていったわけですが、
そんな変化を察していただけると、恥をさらしながら書いた甲斐があったというもんです。
一つ目の乗馬クラブとか、二つ目の乗馬クラブとかでてきますが、ひと口に“乗馬クラブ”といっても“飲食店”という位、 内容は千差万別です。なので、○○クラブが良いとか悪いとかではなく、ご自分に合ったクラブを探すことが大事ですよね。
いくら三ツ星高級フレンチレストランといえども旨い鰻のかば焼きや牛丼を注文しても無理、置いていないですよね。
サニーを、飲食店に例えると…郊外の駅の裏にある、
夫婦二人で切り盛りしている居酒屋さんカウンターに椅子数個だけ。
こじゃれたものはないけれど、
ふたつみっつこだわりの酒肴、ちょっとうまいものがあり、
多少のわがままは聞きますョ てな感じです。
ところで、二つ目のクラブでお世話になった先生ですが、
10年ほど前に乗馬の世界から去ってしまいました。
そして、オーナーさんはそれから間もなく、もっと遠くへ去ってしまいました。
先生は音信不通で、オーナーさんは現代の最先端の電波でも絶対届かない所に、
急に、行ってしまったんです。
10年経った今、改めてお二人へ、
感謝の気持ちを込めて、このシリーズを書かさせていただきました。
でもこれ見たら、お二人から言われると思うんです、
“わかったようなことを言うなッ!百年早いっ!!!”
【おまけ】
そうそう、2月19日の“軽速歩は、立つ・座るじゃぁ~ないョ”って、話ですが
じゃぁ~なんだ?ってこと書かなかったですね“膝の屈伸運動”です。
馬の上で“ヒンズースクワット”を小さくやる感覚ですョ
このシリーズでは、教わった技術的な事は意図してなるべく書かないようにしました。
それは、なぜかというと、SUNNYでは、簡単なことしかやってないし、
アッシも出来ないからです。
つまり、
ライダーの思った歩様・スピードで、
思った所を、
馬になるべく負担をかけずに、
ライダーの合図で馬が進み、曲り、止まれば、
それで乗馬やエンデュランスは十分だからです、
技術的・動作的には、簡単なことでしょ?